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母が倒れました｡ それは突然のことでした｡早朝、僕の部屋の電話がけたたましく鳴りました｡茶の間にいる母が親機からかけてよこしたものでした。 母の様子がおかしいことはすぐにわかりました。胸が苦しくて息ができない、搾り出すような細い声で訴える母の声に僕は蒼ざめました｡大急ぎで茶の間に降りていくと、母は胸を押さえながらちゃぶ台に突っ伏していました。僕はいよいよ顔を蒼くしました。ただごとではない、と。 しかし、すっかり気が動転していた僕にできたことは的確な応急処置でも救急車を呼ぶことでもなく、父と祖母をたたき起こすことくらいでした。そうして騒ぎを大きくすることくらいしか、その時の僕にはできませんでした。 祖母が知り合いの医師に電話をかけ、状況を説明し指示を仰ぎました｡医師によれば、その症状から察するに肺が破裂した可能性が高いらしく、一刻も早く病院に行くべき、という至極当然な助言がなされました。しかし日曜日の早朝、普通の病院は休診です。救急病院に行くしかありません。車で病院に向かおうとする父に対し、僕は救急車を呼ぶべきだと主張しました。近所の耳目を気にしている場合じゃないじゃないか、と。しかし父が言うには、救急車が先ほどの知り合いの医師が勤める病院の救急病棟に連れて行ってくれるとは限らない、知り合いのいる病院のほうが色々と便宜を図ってくれるだろうから、というのです。そう言われると、また救急車が来るまで家で待つ時間のことを考えると、たしかに車を使ったほうがよい気がしてきました｡父と僕は動けないでいる母をどうにか車に乗せ、病院へと向かいました｡ 救急病棟には既に知り合いの医師が連絡をつけてくれていました。 母がERの白い扉の向こうへと消えていきます｡ 「ご家族の方はここまでです」 看護婦が冷たい声で遮ります｡ もう二度と母に会えないような、今度この扉から出てくるのはもはや母ではないような、そんな気がしました｡ 報せを聞いた叔母が待合室に顔を見せました｡僕と父と叔母と三人、終始無言でした｡永遠とも思えるような時間が僕に重くまとわりつきました。 「ご家族の方、こちらへどうぞ」 若い医師は困ったような顔をして駆けつけた僕たち三人を順順に見回しました｡僕たちはいよいよ顔をこわばらせました。 「先生…」 「………」 「先生、妻の容態は……」 「母は一体何の病気に……」 「………」 「…先生！」 「……あの、なんていうか……なんていうかただの筋肉痛ですネ」 「ズコー」 スローモーションで僕ら三人は後ろへと倒れこんでいきます。足の関節をまっすぐに伸ばしたまま、受け身なんかは取る気もしません。 「胸の筋肉が攣ったといいますか……たしかに紛らわしい症状ではありますネ。湿布でも貼って安静にしていれば大事ないです」 「ズコズコズコー」 僕の今までのずっこけ人生２３年、思わずずっこけてしまう事件は多くあれど、今回のように綺麗にポーズの決まったずっこけは初めてです。足の裏がみごとに天井を向きました｡みんなにもみせたかったなあ、あれ。 それであのう、どのへんでオチがあることに気づきました？
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