うちの実家で飼っていた犬が昨夜みまかりまして。

　僕が物心ついてから、我が家の飼い犬がみまかるのは三度目。最初に死んだのは父と祖父が狩猟犬として使っていたアイリッシュセッター、次に死んだのはその跡を継いだやはり猟犬のイングリッシュセッター。こいつらはどちらもいっぱしの猟犬で、父と祖父にだけ絶対的な忠誠を誓っており、また猟犬特有の、戦闘民族サイヤ人のごとき好戦的性格と気位の高さが障害となってか子供だった僕とはあまり馴れ合うことがなく、だから彼らが死んだときもべつだんそんなに悲しくはなかった。

　猟犬のイングリッシュセッターが近所のオス野良犬と不義密通をおかし、そうして望まれずして生まれた仔犬のなかの一匹、それが昨夜みまかった犬でした。

　 この時に産まれた仔たちは雑種ゆえに猟犬としての利用価値はなく、近所の犬好きな人たちに次々ともらわれていったのですが、その中の一匹だけ、妙にずんぐりした体型の牝犬の貰い手だけがなかなか決まらない。それじゃあ、というので親戚の子が飼い主になることを引き受けて、当時流行していたFFVのキャラクターにちなんだ名前を付けたりなどして、引き取り準備が整うまでのあいだ家で飼うことになったものの、成長するにつれて犬はますますずんぐりむっくりしてきて、ただのツチノコにしか見えなくなってくる。次第に親戚一家は犬の話をしなくなる。やんぬるかな。親戚の子はかわいい犬を飼ってみたかっただけなのです。UMAにしか見えない犬を引き取ろうとしない親戚を責めることなどいったい誰に出来ようか。

　 かくしてツチノコっぽい犬は仮の宿であるはずの我が家から引き取られていく気配もなく、そうしてけっきょく十数年、彼女はなしくずし的に我が家の裏庭に居座り続けたのです。

　 最初の頃こそ祖父は彼女を猟用犬に仕立てようとしたものの、しょせんは雑種。ある時、山の中での実地訓練中にはしゃぎすぎて遭難。二週間ほど消息不明。後日、近隣住民の「山菜を採りに山に分け入ったところ、藪から突然犬のような獣が現われて笑いながら腹を見せてきたので驚いた」という妖怪遭遇譚のごとき目撃証言をもとに祖父が現場に向かったところ、ほんとうに藪から犬のような獣が出てきてにこにこしながら仰向けになって腹を見せてきた。果たしてそれが行方不明になっていた彼女で、祖父は彼女を家に連れ帰ってきたものの、以来、彼女に猟犬の訓練をすることはほとんどなかったし、けっきょく猟犬としてものにはならなかった。

　 かくして誰にも求められることなく裏庭で暮らし、誰の期待に応えるでもなく木偶の坊のように過ごす彼女の生活。役に立たないだけならまだしも、家庭菜園の野菜を食い荒らす、菜園に撒いた肥料の野菜屑を食い荒らす、お勝手の引き戸を前脚で器用に開けて屋内に侵入し、台所の食物を食い荒らす、といった食い荒らす系悪行の数々を尽くし、もはや立派な害獣ですらあった彼女だけれども、僕や弟はそんなロックな彼女が大好きで、この十数年間、いろんなことをして遊んだよなあ、なんてことをしみじみ考えてみたら、ああ、なんかもう涙腺が。

　ぶっちゃけ、もはや泣きながら書いているわけですが。で、そうそう。彼女は、犬のくせしてすんごくいい笑顔をするやつだったですよ。どんな時でも裸の大将みたいにこにこ笑っていました。好物のチャーシューをあげたときなんかはもちろん満面の笑みだったし、冬の日に雪玉を投げてやれば喜んで追いかけてって、そして雪玉をがぶがぶ食って笑っていたし、彼女のたぷたぷした皮下脂肪で包まれた体表をエアガンでパンパン撃って遊ぶという、およそ人間サイドしか面白くないような遊びを敢行したところで、何がおかしいのか彼女は口の端をぐいっと拡げてやはりにこにこ笑っていて、ほんとうにそれがもう、笑っちゃうぐらい笑っていて。
　僕は今後の人生で、あれだけ屈託のない笑顔を浮かべる地球生命体には二度と出遭うことが出来ないような気さえします。 こうして思うに僕は、笑顔というものの持つうつくしさすばらしさを、ツチノコみたいな雑種犬から教わったのだなあ。僕自身、あんなに頭わるげでなおかつクールな笑みを浮かべることができる日なんてくるのだろうか。きっとこないだろうなあ。僕は彼女とちがって、こざかしいし、見栄っ張りだし、人に優しくもないもんなあ。

　 ま。そういうわけで。さよならレナさん、アディオスアミーゴ。アディオスばかりが人生だけど、あの世へ行ってもアミーゴだ。などと、悲しすぎて言語中枢が混乱をきたし、スペイン語なんぞが混入しだす始末だよ。ははは。はは。さらば。